オリエント急行の直面した様々な困難

オリエント急行と第一次世界大戦

この記事ではオリエント急行の直面した様々な困難に
ついて書きます。
当時、オリエント急行の走っていた東ヨーロッパの政情は
非常に不安定でした。
また、西ヨーロッパに比べてインフラの整備も東ヨーロッパでは遅れていました。
このため、オリエント急行の列車の運行に様々な困難に
直面しました。
盗賊団がオリエント急行の列車を襲って身代金を要求する事件が1891年に起こったりもしています。
また、猛吹雪のためにオリエント急行の列車が11日間にわたって立ち往生する事件が1907年には起こりました。
また、1914年7月28日に第一次世界大戦が開戦されるとオリエント急行は全面的な運休を余儀なくされました。
なお、第一次大戦中交戦国のドイツはフランスを起点とするオリエント急行に取って代わろうと、ドイツ帝国の首都のベルリンーイスタンブル間に「バルカン列車」を走らせています。
なお、第一次世界大戦後すぐの1919年には、当時イタリア止まりでしたシンプロン急行を延長するような形で、シンプロントンネルを経由して、ロザンヌ.ミラノ.ベオグラードを経由します「シンプロン.オリエント急行」が登場
しました。
この「シンプロン.オリエント急行」のルートは敗戦国だったドイツとオーストリアの領土を避けたルートでした。