オリエント急行の歴史と各国の争い

オリエント急行の一番列車

この記事ではオリエント急行の一番列車について書きます。
オリエント急行の一番列車は1883年10月4日の夜にパリー
ストラスブール{パリ東駅}を出発して、6日間かけてトルコのコンスタンティノープル{イスタンブール}に到着しました。
オリエント急行の一番列車には各界の名士やジャーナリストがゲストとして乗車していました。
また、途中のルーマニアでは国王のカルロ1世が自らの
離宮に招待するなどオリエント急行は沿線各国で大歓迎を
受けました。
オリエント急行の設立当初の運航便数は週1便でしたが、
1885年には途中のオーストリアの首都のウィーンまでは
毎日の運航になりました。
なお、オリエント急行は当初のルートの他にチェコのブダペストからベオグラード、ソフィア間を経由する寝台列車
{一部は馬車連絡}も運転されています。
なお、念願のイスタンブールまでの直通運転が1889年に
は実現しました。
沿線各国の貴族や富豪、外交官などにオリエント急行は愛用されていました。
因みに、国王や王妃などの王族ですら専用の列車を使うよりもオリエント急行に自分の専用車を連結させることを
好んだといいます。
オリエント急行ができるだけ自国の領土を通過するように
東ヨーロッパの各国は経路やダイヤをめぐってお互いに
激しく争いました。